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2013-12-04 21:20:00

 先日、人間の余命について書きましたが、車については潰れても、旧車でも、プレートを切っていても再度起こすことが出来ますね。勿論、部品が入手できたり、製作できたりすればですが。人間については身体に悪いところがあっても検診や治療などにより現在の医学で可能な延命措置ができますが、車については(車に限りませんが)余命という概念が当てはまらないのかもしれませんね。人間であれば延命であっても、車のように交換できない部品?もありますのでいずれは死は訪れます。しかし、車はその車を生かそうとするオーナーが居る限り生かし続けられるのかも…。

 

 最近、知人に聞いたのですが、プレートを切った車両を含めて、なんと9台持っているとのことなんです。その中の5年ほど寝かせておいた車を整備して現在乗られているとか。

プロの車屋にとっては少し嫌なもんですが(笑)、なんとその方は車屋でないのに整備士2級を持ち、溶接もされエンジンも触られるようです。古いスカイラインも整備中とか…(この半年程は触れていないとか) 普通の製造業の仕事をされていますが、趣味でされているにしてはすごいもんです。

国産車ばかり9台お持ちのようですが、「何故、そんなに持っているの?」と尋ねれば、「捨てられないから」との答え。捨てられない=愛している、からなのでしょうね~。自分でいじることができ、いつかは起こしたいという思いが捨てられない行動にさせているのかもしれませんね。

包装紙や紙袋を捨てられずに保存しているのとは類が違いますよね~。包装紙を折り紙や工作などに加工されるような目的で保存されているような場合は別ですけど。

 でも、上記のような車好きの方(30代後半の好青年ですが)が県北にいらっしゃるのはとても興味深いものです。(その方の話では、レーシングカーFLをお持ちの方が津山にいらっしゃるとかで、これまた興味深いものです。)

 


2013-12-01 19:44:00

*出会い ~ 別れ

 

 今日、我々の身内の一周忌法要でした。

お坊さんの話の中に、”出会いがあれば必ず別れがある”という意味のお言葉がありました。正にその通りですよね。親子の出会い、兄弟の出会い、夫婦の出会い、友との出会い、師弟の出会い、など様々な出会いがあれど、いずれは分かれなければなりません。色んな理由はあれど(?)、最終的には死という別れが訪れる限り必然のものです。

 

生あるもの死があり、形あるもの壊れ、栄えるもの滅びます。魂が生き残るという概念は別にすれば…。生きているということは確実に死に近づいているのです。

 

 人間の平均寿命が男性79歳、女性86歳くらいなので、我々の人生が80年とすれば29,200日しかありません。余命毎に見てみれば、

  50年であれば18,250日

    40年であれば14,600日

    30年であれば10,950日

  20年であれば 7,300日

    10年であれば 3,650日

となります。(わあ~~~)

 

*だから虹の根っこ

 

 ソフトバンク社長の孫正義氏の話に次のようなものがありました。

「子供の時に、仲間と丘の向こうに虹の根っこを探しに行った。 今、仲間と共に味わっているワクワク感はあの時のままだ。」

「人生には運も不運もある。運に頼ってはならない。不運を言い訳にしてはならない。」

”虹の根っこを探す”、そしてそのワクワク感は今も継続中…、さすが孫社長だなあと思いました。恐らく、事業としての根っこを見つけられ現在社会に虹の橋を架けられたのでしょう。

 

余命がどれだけであろうと、虹を見つけ、その根っこを周りの人と探したいものです。とにかく、”ワクワク”感というものは素晴らしいものだと思います。


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